今日思った言葉を綴るページ

日々が当然にすぎる中で、考えを整理したいと思い、始めます☺︎

自己啓発本にある、”毎日の習慣”というワードについて。

19年2月13日

 

 まず、なぜブログを始めることになったのか。

それは、私自身が内向的な性格で、意見が言えない、というのが根本にあります。学生時代、周囲の話題は恋愛トーク或いは批判するトークで溢れかえりました。そこに馴染めず、好きな音楽の話をし、絡み辛い人、浮いてるよね、と言われたことをきっかけに、自分の話をするのが苦手になりました。

 

そこから約10年が経ちますが、友人、家族、恋人、職場の先輩後輩、本音で会話をすることを恐れ、面倒くさいとすら思い、そんな自分を卑下し生活しております。

ただ、その分思ったことを、紙やパソコン、ケータイ等々に記録してきたので、そちらをまとめられたらな、と思ったことが契機となり、自分の中だけでなく人の目に届く媒体を使うことにより、しっかり考えよう、と思い始めました。

 

 

 ★では、早速最近考えていることを綴りたいと思います。

自己啓発本にある、”毎日の習慣”というワードについて」

 

私は母親から

①顔を洗う②着替える③ご飯を食べる(忙しかったらヨーグルトだけでもまぁ良し)④歯を磨いてから1日を過ごす、と教わってきました。

各家庭によって順番は違えど、似たようなことを教わるかと思います。寧ろもう少し細かく教わるかもしれません。何せ私の母は、自分で考えることを大切にしなさい、というタイプなので。夜もある程度決まった順路があります。

 

実家にいた時、時間を意図的に決めて、ペンを持ち日々を記録していました。携帯に打ち込むこともあったし、自室で涙ながらに録音をした日もありました。他者から見ると、暇潰しをしている、携帯のゲームをして、部屋に籠っているだけに見えるかと思いますが、この時間が、幼かった私を明日に繋げるためには必要不可欠でした。誰かに悪意をぶつけられても、何かに吐き出すことができる行動、時間が13歳の自分を保つ唯一の方法だったのです。

 

結論、「毎日の習慣」とは、他人に決められるものじゃないと、思うのです。自己啓発本でよく、"やめたらいい習慣"というワードのついた物がたくさんありますが、(例えばお店でコーヒーを飲む時間が)癒しになっていたり、自分のことを考える時間になっていたりするのに、そんなことまで支配される必要がないじゃないか!!!と思うことができる行動こそが、自分にとって毎日することなんだと、私は思うのです。

 

ただ、ゲームが癒しの時間だからと言って、引き込もり続けるのは違いますね。だって現実の自分と向き合う時間ではなく、画面の中の自分を育てることは非現実的です。日々の癒しとして、時間を決めたりして楽しむのであればそれは良い事だと思います。

 

大切なのは、その時間を使うことで、今の自分と向き合うことができるのか、または向き合うためにリフレッシュ癒しが発生するのか、だと思います。

 

なので自己啓発本を読んで、何から何まで真似する、という行動は、本に主導権を渡しているような、本を信じている、軽い現実逃避にすら感じます。読むことが間違っているというわけではありません。違うものの見方ができるので面白いと思います。ただ、本を信じるのではなく、自分自身を信じることが現実と向き合うことなのではないでしょうか。

 

 

ということで、私は仕事の合間を使って、こちらのブログを発信のツールとして、大切にしていこうと思います。続けることで、矛盾にぶつかったり、それによって悩むこともあるかと思いますが、その時のことをよく考えて更新していけたらな、と思います☺︎

 

よろしくお願いいたします。

 

shin